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C-ビジネスニュース
創刊0号 平成14年11月15日
〜中小企業とNPOが支え合う〜
視点(創刊のあいさつ)
おうみNPO政策ネットワークの「おうみシニアひとづくりセンター」においてC−ビジネスニュースを発刊いたします。C−ビジネスニュースは、中小企業とNPOが市場経済において共に支え合い、新しい時代のビジネスを行政機関と中小企業とNPOが協働してその時代に合った活動や情報を提供して参ります。
創刊号は「コミュニティ・ビジネス特集」といたします。コミュニティ・ビジネスという耳慣れない言葉を多方面な角度から追求し中小企業の経営にどう捉えて行くかを提案しながら、協働する仕組みづくりをいたします。英国で始まったコミュニティ・ビジネスは日本ではまだまだ本格化していません。地方分権が叫ばれ動き出す時にはコミュニティ・ビジネスの存在が注目されてまいります。
一方大学と産業との結びつきでTLO(大学等技術移転促進)が一部動き出しています。
滋賀県は大学の新設・移転が急増していますが、NPOが中間的に接点を持ち連携するための窓口となることが重要な課題ではないでしょうか。
今後ともC−ビジネスニュースは、中小企業・行政機関・大学等と距離を縮める役目を果たして地域の問題解決の方向付けを推進いたします。
おうみNPO政策ネットワーク
おうみシニアひとづくりセンター
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西宮市コミュニティ・ビジネスオープンセミナー(2001・2・17)より抜粋
西宮市産業振興課主催
西宮市市長 山田 知氏
はじめに
昨今のIT技術の発展には目覚しいものがあり、インターネットも普及して参りました。
その中で私達の日常生活は大きく変化してきています。個人が情報発信できる機会も大変多くなっており21世紀は個人の時代と言えるかも知れません。
私達は地域コミュニティの中で生きています。地域社会は私達の生活の基盤でもあります。西宮市におきましては地域コミュニティを活性化していくこと、そして地域社会が抱える諸々の課題を解決していく方策はないかと考え議論を重ねておりました。
研究会を設置し、コミュニティ・ビジネスの振興について慎重に精力的に検討を進めております。
コミュニティ・ビジネスの発祥地は、イギリスで1980年代に産業構造が大きく変化し空洞化現象やそれに伴う失業者問題が生じました。失業者の雇用を促進さす為に取り組んで来たのが、コミュニティ・ビジネスです。地域住民の人材・知識・技術等を活用し解決する事を目指し進行してきました。最近では新聞、雑誌等で取上げられて言葉として定着しておりますが、コミュニティ・ビジネスを知っておられる方は少ないのが実情です。コミュニティ・ビジネスへの期待はますます増大し、地域社会のいろいろな問題を解決していく仕組みづくりを作り上げていくことが未来社会であろうと思います。
皆様と共に豊かな地域社会の実現に向けてどのようにしていけば良いのかを考える「場」といたします。
神戸商科大学商経学部教授 加藤 恵正氏
基調講演 より抜粋
1) 英国が発祥の地だったコミュニティ・ビジネス
コミュニティ・ビジネスという言葉が初めて登場したのは1980年代のイギリスです。当時、イギリス病ということで場所によっては失業率が20〜30%になるという大変な失業問題が発生していました。
イギリスはこの失業問題に対して多くの都市政策、地域政策を展開いたしました。例えば都市開発公社、エンタープライスゾーンなど阪神大震災時の神戸と同じように色々の案が提案され、積極的に都市の再生と雇用の増大を図るために、政府がコミュニティ・ビジネスを大きく支持し、展開していきました。
当時、日本から都市問題の専門家は、強力な都市開発に関しての紹介に注目し大掛かりな視察団を送りこんだが、しかしコミュニティ・ビジネスについての研究・紹介をした人は誰もいませんでした。
私は、サッチャー首相の強権的な政策を研究すると同時に彼女のもう一つ顔を見て帰るべきだと向こうの研究者に教えらました。サッチャー首相の政策は基本的には、雇用政策として展開されたのがコミュニティ・ビジネスであった。現在の労働党政権はコミュニティ・ビジネスと共に、ソーシャルエコノミー、つまり社会的経済という、大きな枠組みで地域のあり方を考えようという方向に進化してきております。
コミュニティ・ビジネスの発祥はイギリスではなく、当初アイルランドに発生しスコットランドで原形が作られといわれています。草の根的に地域で行われていたものを政府が見出して施策を加えたということです。我が国にコミュニティ・ビジネスが根付いていくプロセスもこのようになっていくのではないかと感じられます。
2) 日本のコミュニティ・ビジネスは地域から中央へ
1994年、阪神大震災の起こる1年前に、東京のヒューマンルネッサンス研究所の細内さんと云うプランナーの方が、自らの造語としてコミュニティ・ビジネスというものを提案されたと云われています。
東京(世田谷・下町など)のまちづくりにおいて、ビジネス的な視点を持ち込んで、まちづくりの観点で実践も含みながら、日本型コミュニティ・ビジネスが東京で発祥したと考えられます。
その後阪神大震災が起きて被災地における経済問題を考える中でコミュニティ・ビジネスが提案され、経済的な観点からいえば、雇用問題が大変になるだろうと多くの経済学者が共通して指摘されその時に市場経済をきちんと動かす雇用の仕組みと同時にコミュニティ・ビジネスの発想が必要ではないかと、復興計画の中に盛りこんでいった経緯があります。
従来こういう政策は、まず東京の中央政府が企画立案し、地方が手を上げて資金を取っていくプロセスで行われるわけであるが、コミュニティ・ビジネスに関しては全く逆でそれぞれの地域でコミュニティ・ビジネスが提案されて、これが動き始めていくわけです。
しかし残念ながら財政の調整が思うようにいっていない点があり、地方分権の流れの中で、将来的に地方がインシアティブをとって提案できることが大変重要である。
3) 社会的経済の台頭
コミュニティ・ビジネスを語る時に、はずせないのが「社会的経済」という考え方ではないだろうか。フランスでは以前から社会貢献性を持った活動を重視する傾向があり10年位前は、フランスだけでなく、世界各国でこのような動きが見られるようになり、ヨーロッパは現在ほとんどの国が社会民主政権であり、社民が力を持っています。経済そのものが、社会貢献的な視点を重視することで動いているといって間違いないと思います。
NPOが注目され非営利的な活動を社会の動きが強くなりつつありますNPOの活動をもう少し広げて据えてみてはどうかの発想が進みつつあります。
4) 社会的経済の位置づけ
社会的経済を取り巻く状況の中で制度化されている度合いの大きいものと、制度化されていないものがあります。阪神大震災で経験したものの中で、我々のあらゆる活動が止まるという経験をしてきました。基本的に現在のマーケットというのはきちっと形成されて、がっちりとくまれているので止まることは考えた事もありませんでした。しかし震災の時はマーケットが「ぱっくり」と割れてしまいました。一時的にせよ市場経済が全て機能しなかった経験があります。
我々の生活はいろんな形で支えられていたのです。互恵的というか、互酬的な活動が存在したのです。その主体はボランテァ(延べ約130万人)でありNPOであったりしました。我々の中に存在した相互扶助の形がお金を介在せずに作り上げたのではないでしょうか。社会がまずベースにあってその上に市場をつくりあげてきました。
社会的経済は実は農村社会にも色濃く残っています。現在の社会や、次世代の社会において対応できるような形で汲み上げていく作業がこれから求められています。
5) 現象が語るコミュニティ・ビジネスの必要性
コミュニティ・ビジネスの展開を考えるにあたって重要なポイントは、多様な変化が都市とか地域の中で出てきました。大都市と言うのは、ドーナツのように拡散してきましたが高齢化が始まって、空間構造になってきました。これまでだと非常に画一的でどこも同じような姿で発展していたものが、地域がそれぞれにばらばらになってきます。今まで隣町でうまくいっていていたことを真似すれば、大体うまくいったが、これからは類似都市の現象を見ても自分の町の問題解決にならない可能性があります。こんな時代こそ地域に密着したコミュニティ・ビジネスが発展するであろうと考えます。
行政が画一的な調整で財源とかサービスを提供するというこれまでの姿勢の限界から生まれてきた視点であるといっても過言ではありません。
住んでいる人々のQOL(=生活の質)をどのようにか確保するのか。21世紀に求められているこれらの事は、コミュニティ・ビジネスの観点から突破口を開けないか言うことに注目したい。
6) コミュニティ・ビジネスの実際
日本ではコミュニティ・ビジネスの活動は萌芽期で、さまざまな活動がコミュニティ・ビジネスに含まれているが、全体として未成熟で、一言で定義するには時期尚早であります。20年の歴史を持っているイギリスでは、ビジネスサイトに力を注でいる活動では、インキュベータと言われるものがあり、ロンドンやスコットランドでも同じようなことが行われています。
行政が使わなくなった学校・公民館などの施設を安く地域の人に提供し、その人たちが内部を改装し、区切って失業した人たちのベンチャービジネスやスモールビジネス用に貸す事業や、ベンチャーコーデネイトする事業まで踏み込んでいます。警備会社・障害者によるホテル経営など多様な活動をイギリスのコミュニティ・ビジネスはプランナーとして地域に対してきっちりとした社会貢献をもって根付いきております。
7) コミュニティ・ビジネスの今後の課題
今後の課題として大きく4つに分けられます
| 1. |
評価の問題
人の価値観や姿勢によって分けられる活動は大変重要であり、社会的にも影響があります。 |
| 2. |
資金確保の問題
社会的な役割を担って行く為には、地方自治体や国の支援を受けるには制約があり簡単に流れ込めない問題です。 |
| 3. |
市場の調整の問題
どうゆう仕組みで、どんな活動を行い情報が公開されて、市民に何らかの形で評価で来る仕組みづくりであること。 |
| 4. |
公共との調整の問題
ビジネス性が非常に強く独立していく仕組みづくりであること。
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コミュニティ・ビジネスの定義
コミュニティ・ビジネスとは何か・今後どう見ればよいか。
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| 1. |
コミュニティ・ビジネスは社会貢献性とビジネス性と言う2つの言葉が一緒になってつくられている。 |
| 2. |
実際には福祉などの活動領域であると思われる。 |
| 3. |
現時点では、非常に社会貢献性が高くビジネス性の強いものまで、あらゆるものを包括する形であると認識する必要がある。
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日本では、この活動は特に変化が激しく、しっかりとした定義ができないのが現状です
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おうみNPO政策ネットワークの取り組み方
地域に密着するおうみ政策ネットとして行政機関・企業・大学等の橋渡しの役目を受け持ち現在の「絡みの社会」をひもとく役割として活動して参ります。
「縦社会」の行政機関・企業・大学等の研究機関と市場経済のなかでNPOである政策ネットが「横社会」として問題解決の立場で、コミュニティ・ビジネスの事例紹介・提案等を推進していきます。
日本におけるコミュニティ・ビジネスは定義すら確立していませんが、今後研究会・勉強会などで方向づけを異業種の方々と共に、交流する機会の創出を計っていきます。
おうみシニアひとづくりセンターの組織維持の要件
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1.
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ミツション(活動目的)を大切にした組織づくりと運営方針を立案する |
| 2. |
リーダーが組織を引っ張る役割を担う |
| 3. |
参加者が活動目的に対して理解し行動する |
おうみシニアひとづくりセンターを推進していくための要件
| 1. |
地域固有の資源に基づく活動の展開 |
| 2. |
魅力あるサービスの提供(C−ビジネスニュース等で) |
| 3. |
活動状況の情報発信 |
| 4. |
人材づくりと異業種の交流 |
| 5. |
資金調達・公的機関との関わり |
| 6. |
TLO(大学等技術移転促進)を地域企業と連携する役目・仕組みづくり |
| 7. |
大学のインターン制度の活用 |
| 8. |
産業の再生と雇用の取り組み |
おうみひとづくりセンターの今後の予定
| 1. |
C−コミュニティニュースの定期発刊(月1回) |
| 2. |
おうみシニア(成熟した)アドバイザーの登録 |
| 3. |
おうみシニア(成熟した)アドバイザーの登録リストの作成 |
| 4. |
コミュニティ・ビジネスの研究会・フォーラム・交流会等の開催 |
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童門冬二 (歴史作家)日本史にみる経済改革より引用
江戸の経営コンサルタント
大消費地の好みをリサーチ
江戸時代にも経営コンサルテングがいた。海部青陵はその代表である。彼は宝歴五年(1755)に江戸に生まれ、文化十四年(1817)に死んだ。天明・寛政・享和・文化の四時代に渡って、日本諸国を歩きまわり、大名家にいろいろな「経済政策案」を説いてまわった。彼は「大名の商社化と武士の商人化」であった。「武士は食わねど高楊枝」などといっては、どんどんすすんでいる貨幣経済の時代に遅れをとると言うことで「名産品」と呼ばれる産物の存在に目をつけた。たとえば絹でいえば、日本諸国には絹の名産地がたくさんある。ところが彼は「絹の大消費地は京都だ、したがって現在京都でどういう絹を求めているかをまず把握してから生産活動をおこなうべきだ」と主張した。
「今京都で求められている絹の種類」を知るためには飛脚を利用すべきと言って飛脚に特別な手当をだして現在京都で京都人が喜んでいる絹の種類を知った上で、京都に運び込めというのである。
「銘柄の違う絹製品を合同させて、ひとつの銘柄にすることも考えるべきだ」
といっている。現在でいえばブランド志向の客に対し「ブランド製品が、それぞれ自分のブランドにこだわるのではなく、場合によっては京都で受けてういるブランドに参加してしまえ」ということである。
専門家の活用
「いま求められているブランド製品に、他の同種の製品も合体してしまえ。そのためには、それぞれの製品を産出している領地の管理者である藩主が話し合え」といういい方は、この時代きびしく分け隔てられていた「藩」と「藩」との間に、一本の強力なパイプをつなぐということになる。いってみれば、「タテ社会」を藩際交流によって「ヨコ社会」にしてしまうということだ。絹で言えば、関東には秩父絹や川越絹がある。大消費地である江戸や京都では、その時々によって客の好みが違う。川越絹が優勢になったり、秩父絹が好まれたりする。青陵がいうのは、「そのとき、もしも川越絹が好まれていたら、秩父絹の中に入ってしまえ」ということだ。が、生産地とまた生産地を管理する大名はメンツにこだわる。「そのメンツを捨てなさい」ということなのである。
「そういうときは、忍藩と川越藩がよく話し合うべきだ」という。そして、「話し合いに必要なら、わたしが間に入る」といっている。これがかれの、経営コンサルタント的存在の意義なのだ。そして、「大名家では、武士の商法や素人のしったかぶりが多いので、生産品についてはかならずその道の専門家を招きなさい」とプロの登用を進言している。秩父地方の河原にころがっている石を拾って、「これは立派な硯になる」と忍藩に「絹だけでなく、硯の生産にも努力しなさい」なども告げていた。とみかくかれは、「あらゆる物には価値があるので、無駄なものはない。大いに利用すべきだ」という考え方で一貫していた。江戸時代には珍しい「能動的な経済学者」といっていい。
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滋賀県及び関連機関・団体のインターネットホームページアドレス
(産業支援施策ガイドブックより抜粋)
C-ビジネスニュース創刊号をお読みいただいてのご意見をお聞かせ下さい。
今後の編集の参考にさせて頂きます。
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